2026/3/14
白を見ていたら、人生の余白の大切さに気づいた
妻にすすめられてひろしま美術館の「白の魔法」展を見に行った。
思い返してみると、子育てや仕事やらで美術館に行くのはずいぶん久しぶりだった。
展示を見ているうちに、すぐに気づかされた。 白は一つではない。
やわらかい白。 少し冷たい白。 光のような白。
白で表現されるものとして、雪がある。 土と混じって荒々しい雪もあれば、冷たく重く積もる雪もある。 どこか暖かさを感じる雪もある。 同じ雪でも、白の使い方によって雰囲気や温度の感じ方が変わる。
特に印象に残ったのは、パブロ・ピカソの《子羊を連れたポール》という作品だった。 子羊の姿が細かく描き込まれているわけではない。 目や鼻、耳が描かれているだけなのに、不思議とそこに子羊がいるように見える。 描かれている部分は少ない。 それでも、確かに子羊がいる。
描かれていない部分もまた、作品の一部になることに驚いた。 余白も表現の一つの方法だ。
展示の説明文に興味深いことが書かれていた。 日本語の「余白」に該当する英語の blank は、古フランス語の blanc(白い) を語源とする言葉だそうだ。 何もないことを白で表現する感覚は、世界で共通しているのかもしれない。
様々な白の表現を見ているうちに、ひとつのことを感じた。
白は「何もない」ことを表現するものではない。 むしろ、白が「ある」と言ったほうが正しい。
白は見過ごされがちだ。 しかし展示で様々な白を見ると、白が作品全体の印象に大きな影響を与えていることに気づく。
人生の余白も、同じなのかもしれない。余白にはいろいろな形がある。
時間の余白もあれば、物事の見方の余白もある。
子どもとゆっくり過ごす時間。 一人で静かに過ごす時間。 何もせず、ぼんやりする時間。 そうした時間があることで、他の時間の輪郭がはっきりする。
何か出来事が起こったときでも、すぐに結論を出さず、少し判断を保留する。 そうした余白があることで、長い目で見ればより良い判断につながるのではないだろうか。
白が作品の印象を変えるように、 人生の余白もまた、人生の輪郭をつくっているのかもしれない。
年齢を重ねるにつれて、時間が早く感じるようになった。 仕事をしていると、一年があっという間に過ぎていく。
だからこそ思う。 人生を出来事で埋めることだけでなく、 余白も楽しめる人でいたい。 白にもいろいろな白がある。 たぶん、人生の余白も同じなのだと思う。









