2024/2/14
ウイスキーと私
令和3年の日本産酒類の輸出金額は、約1,147億円(対前年61.4%増)となり、平成24年以降、10年連続で過去最高を記録しました。輸出金額を品目別にみると、ウイスキーが最も多く約462億円(対前年70.2%増)、次いで清酒が約402億円(対前年66.4%増)となりました。
https://www.nta.go.jp/taxes/sake/shiori-gaikyo/shiori/2022/pdf/001.pdf
2022年、日本で作られたお酒の輸出額の1位はウイスキーだ。国産ウイスキーに対する世界の評価は高い。国内に本格的なウイスキーがなかった時代に、ウイスキーの本場スコットランドに単身渡り、ウイスキー造りを学んだ竹鶴政孝氏の功績は大きい。
紹介するのは、ウイスキー作りに人生をかけた竹鶴政考氏の自叙伝「ウイスキーと私」。竹鶴政孝氏はNHKの連続テレビ小説「マッサン」のモデルとなった人物だ。著者の竹鶴氏はニッカウヰスキー株式会社の創業者。本書の本編は140ページ程でとても読みやすい。
ハイボールや水割り、ロックなどでウイスキーは今では飲まれるようになったが、竹鶴氏がウイスキーの勉強や製造に励んでいた時期はそうではない。本書では、竹鶴氏は以下の様に述べている。
「あなたには先見の明があった」という人もいるが、ウイスキーがこんなに飲まれる時代が来るなどとは夢にも考えたことはなかった。
竹鶴 政孝 著 「ウイスキーと私」より
日本のウイスキーの父と呼ばれている竹鶴氏だが、このような偉人を後年に知る僕たちは、「先を見通す力があったのだろう。」と短絡的に考えてしまう。ウイスキーを発売した時のことについて、竹鶴氏は以下のように述べている。
宴席といえば日本酒ばかりで、夏はともかく、冬ともなればビールも顔を見せない時代で、誕生したばかりのウイスキーなど相手にもされなかった。
竹鶴 政孝 著 「ウイスキーと私」より
竹鶴氏の実家は日本酒を製造していた酒屋だった。実家の酒屋を継ぐ話もあったなか、洋酒に興味を持ち、当時日本で今ほど普及していないウイスキー造りの道に進むこと決断している。ウイスキーの勉強のため単身で留学した際や日本に戻ってウイスキー造りを行う際も責任感や使命感は常にあったのだろう。本書を読むことで興味を持つことや行動に移すことの大切さを改めて感じさせられる。
幼少期に鼻に大ケガを負ったことにより、鼻が利きくようになったこと。売れ残ったウイスキーが、後になって原酒として役にたった話は面白い。
ウイスキー作り一筋の竹鶴氏だが、こんな言葉も残している。
ノドがかわいているときのビールはうまいし、フランス料理にはワイン、日本料理のときは日本酒をのむことがある。
竹鶴 政孝 著 「ウイスキーと私」より
個人的にこの言葉にとても竹鶴氏に対して人間味を感じた。
「ウイスキーと私」は、何かを成し遂げる人物の人生を学ぶことができる。「やりたいことがあるけど、一歩踏み出せない。」「自信がない。」「仕事で嫌なことがあって落ち込んでいる。」そんな人に読んでもらいたい本だ。