2026/3/13
「家族サービス」という言葉は本当にダメなのか
ある芸人コンビのポッドキャストを聞いていたとき、こんなやり取りがあった。
「この間、家族サービスをしていてさ。」
「今、家族サービスって言い方あかんで。」
最近、この言葉に違和感を持つ人も増えているらしい。
理由はこうだ。
夫が「家族サービス」と言うと、夫はサービスの提供者で、妻や子どもはサービスを受ける側=お客さんになる。
サービスという言葉には本来、対価が伴う。
つまり極端に言えば、サービスを受けている妻や子どもは、お金を夫に払わなくてはいけない。
家族は本来、そういう金銭のやり取りが前提の関係ではない。
だから「家族サービス」という言葉はよくない、というわけだ。
確かに、ポッドキャストのように不特定多数が聞く場では、この言葉は避けた方がいいのかもしれない。
その芸人と同じように、夫と出かけたりしている妻や子ども側の人たちも聞いているからだ。
ただ、僕は場面によっては「家族サービス」という言葉は役に立つと思っている。
問題は、この言葉の正しさではなく、
その言葉がどんなリアクションを引き出すかだ。
「家族サービスでさ」と言う人は、決して誇らしげではない。
むしろ、自分の立場を少し卑下して
「大変なんだよ」
「察してくれよ」
というニュアンスで話していることが多い。
つまりこの言葉は、
家族との時間を説明する言葉というより、場の空気を整える言葉なのだと思う。
社会では、本音と建前を使い分ける場面が多い。
例えば同僚から飲みに誘われたとき、
「家族と一緒に過ごしたいので」と断ると、どこか真面目すぎる。
本音としてはそれでいいのだが、
誘った側からすると少し距離を感じる。
そんなとき
「家族サービスがあってさ」
と言うと、相手はこう返す。
「ああ大変だな。まあ頑張れよ。」
年上の人なら「可愛げのあるやつだな」と思うかもしれない。
もちろん、この言い方は万能ではない。
誘ってくれたのが同じ立場の夫なら通じるが、女性相手だと微妙になることもある。
その人の妻を「女」という括りで見てしまう場合があるからだ。
確かに「家族サービス」という言葉は、その場にいない妻や子どものせいにしている面もある。
もし自分の妻が外で同じ言い方をしていたら、少しショックを受けるかもしれない。
それでも思うのは、
大事なのは言葉そのものより、本心ではないかということだ。
本当に家族を大事にしている人が、
場の空気を和らげるために「家族サービス」と言う。
その程度の建前なら、
社会の潤滑油として、そこまで目くじらを立てるものでもない気がする。









